雨上がりのモーニング
雨だね。雨だす。ゴールデンウィークどう過ごしてますか?大阪行ったのかな?雨だからかわいそうだね。
まだこのブログを書くのは2回目だし、君は1回目。でも気づいた事がある。確実にどんな媒体よりも、君のブログにワクワクしている。夢中になって読んだよ。何度も読み返したよ。なんで君の書くことにこんなにもワクワクするんだろうね。
人に何かを言うって大変だよね。自分が絶対的に正しいとは限らないし、正しいとしても相手から見るとそうじゃないかも知れないし。僕は共存から次第に離れてるからあまりそういう機会もないけど、ここでも気を使わずに吐き出してね。熱いの遠くへ飛ばしてね。
僕はといえば最近は、といってもここ2年弱は新たな挑戦で自分で食いぶちを作ってみてるわけなんだけども、どれといってまだこれが僕の道だ!みたいなものは見つかってない現状。食べていくためにしているデザインの仕事が実は自分の天職なのか、とか考えてしまう日もあって要するに考えがまとまらないままに生きてる感じ。
新しい何かを探して、見つけて、実践して。そんなことを繰り返しながら生きていくのも悪くはないんだけど、そんなその日暮らし的なことをしていると将来大丈夫かな?なんていうごく当たり前の不安もたまによぎるよね。
ただね、ここ最近僕は感動を作りたいと思っていることに気づいたんだ。感動。今の仕事を10年くらいして思うんだけど、今の仕事は結局誰かがいてこそなんだよね。誰かが何かをしているからデザインが必要になる。つまり誰かのお手伝い。だからお客さんは嬉しそうに言ってくれるんだよ、頼んでよかった!って。でも僕にとっては、お客さんの中にあるものを表現しただけで、僕自身がゼロから生み出したものではない。だから仮にお客さんに感動はあっても僕に感動は訪れないんだよね。
だからね、今は脚本。それが現状の僕のしたい事、してみたい事になっている。それが合っているのかはまだわからない。けど、僕が今まで生きてきて考え方が変わったり、心から感動した世界、それがドラマだったんだよね。だから、それを作る側に、生み出す側に回れたらどうなるだろう、というのが次に目指すステージです。
この前、初めて脚本のコンクールに出してみたんだよ。結果はまだまだ先だし、初めて長編を書いた初心者が通るなんて甘い話はないとも思うんだけど、これこそ無駄に終わっても、叶わなくても、何か追い続けたいなと思うんだよね。いつまでこんなこと言えてるかわからないけどね。
君はどんなものを追いかけてますか?